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遙かなる我がシャングリラ

♯2.2 2005年5月飛騨高山の町に落ち着きのある文化を見た 2



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「旅の写真」って、いったいどんなものだろう?

たとえば、髙山の町の写真と言えば、
おそらく髙山の町に特徴的なシーンを撮った写真だろう。
人に向かって「私は髙山に行ってきました」と報告するときに、
説明に使える写真。

私は、ちょっと変わっているのだろう、
旅の目的地の名所旧跡、観光スポットなど全然無関心。
ありふれた場所でもよいから、そこでなにかに出会いたい。

    なにに?
    予測不能。
    でも、出会ったら分かる。
    心に電撃が走るから。

    なぜそれに出会って電撃が走るか?
    その理由など、不明。
    きっと私の人生や思いとつながるなにかを感じるからなのだろう。

人に見せるものじゃない。
人が見て、興味を持つかどうかはその人の問題で、
私の知ったことじゃない。

    私の旅写真はあくまでも私個人の旅写真。
by Shangrila2014 | 2014-09-29 14:43 | 飛騨高山